悪というものは世の中に存在する。
人知なんかを圧倒的に上回るくらいの悪があるのだ。
人を陥れ、監禁し、嬲り、射殺し、遺体まで消すくらいのことを平然とする。
映画の世界じゃなく、それより凄惨なことを人が人にやるのだ。
そこまで人を悪にさせるのが、欲である。
見栄やお金や女などへの欲はとどまることを知らない。
周りの全てを吸い尽くす、ブラックホールが欲である。
欲は欲を生み、欲を欲するために悪になる。
きらびやかなもの、快楽など、極楽に見えるものをちらつかせ、悪はあなたに近づいてくるのだ。
石を投げれば悪に当たるくらい身近にいるのだ。
悪から身を守るには、悪に近づいてはならない。
それには、欲を持たないのが一番だ。
しかし、人間は欲を無くしてはダメなのだ。
欲のない人間は、魅力がない。
楽しむことも、ハメを外すこともしない。
チャレンジだってしないだろう。
だから、欲は人間にとって、とても重要なのだ。
ただ、調子のってると踏み外すこともあるのが人というものである。
踏み外したことのない人間は、踏み外した者を叱るが、
踏み外したことのある人間は、踏み外したものを笑って許せる。
これも欲が引き寄せる、素晴らしい因果の一つでもある。
しかし、欲が欲を呼び続けると、強大な悪に染まっていく。
このような悪に飲まれないために、欲を制御するのが、志なのだ。
そして、志は悪を見極めるスキルでもある。
もし悪と関わっても、避けることができるのだ。
しかし、志無き欲は、悪に転じやすい。
悪に関われば、命を落とすだけでなく、家族や仲間の命まで危険にさらす。
自分で家族や仲間を陥れ、命を奪うのだ。
それが、極悪、そのものであり、本当にこの世に存在する意思なのだ。
まるで、スターウォーズみたいな話をしてしまったが、私はもっとリアルな脚本が書けると思う。
というのも、以前、世話になった方が悪に転がり落ちていったことがあるからだ。
そして、転がり落ちていくその様を見てしまったのだ。
手を差し伸べたら、自分まで落ちていく。
彼が悪に手を染めたのに気づいた瞬間、私は関係を切った。
被害は最小限に食い止めることができたが、もうその方はこの世にいない。
しかし、いまでもそのとき私がした決断は正しいことだと思っている。
そうさせたのは、私が自分の志に気づいたからである。
だから、小さくても志があるべきなのだ。
小さくても志を抱いて、生きるべきなのだ。
そして、悪に近づいてはならない。
家族や友人が染まってしまっても、そこから抜け出す手助けなんてしてはならない。
悪になった人間は、もうこちらへ戻ることができないからだ。
情けをかけてはならない。
自分の志に従うのだ。