みうらじゅん氏から知った、1本500万円のネーミングが、成立する理由。 | アナーキーマーケティング

みうらじゅん氏から知った、1本500万円のネーミングが、成立する理由。

名は体を表す。

とくに無いものを作る時のネーミングは成功の是非を分ける。

ネーミングは、それだけで全てが表現されてないとダメだからである。

弊社の「ヴァルディア・ジャパン」というのもネーミングの一つ。

弊社は価値ある日本の資産を世界へ広めていくことをビジョンとしている。

そして、マーケティングという切り口ですべての事業を行い、成果を出していくことが、ミッションであり、戦略としたのだ。

こういうことを表現されたネーミングが必要だったので、必死に頭を絞った。

そして出来たのが、VALDIAというのは、Value+Mediaの造語である。

Japanをつけたのは、何の興味もない郷ひろみを意識したわけではなく、日本というアイデンティティを大事にしたいからだ。

当時、東芝のVARDIAというハードディスクレコーダーがあって、響きが一緒で躊躇したのだが、

東芝という大きな会社のいち商品程度よりも有名になりゃいいか、どっちかが先に無くなるかの最初の勝負だと思って命名した。

実際、名刺を配り歩いたときに、こんな話を冗談交じりでしていたのだが、

いまのところ、東芝のVARDIAは、私より先に無くなったので、ひとまず勝ちである。

あ、いけね。東芝そのものが、あぶねぇんだった。

そう考えると、なかなかシブトイな。笑

 

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ネーミングがよければ、続けていくうちに、ネーミング通りの中身が伴う。

実際、WEBメディアを作っていきながら、そこで集客して実際のビジネスに落とし込んでいくという方法は当時から変わっていない。

Mediaという概念を取り上げたのも、広告も音楽も何もかも、

自分のやってきたことというのはコンテンツという人寄せパンダを作り出すことしかしていない、と潜在的に分かっていたからだろう。

音楽だろうが、コピーライティングだろうが、デザインだろうが、プロモーションだろうが、動画だろうが、WEBサービスだろうが、全部客寄せのアイディアだ。

それがどれだけの価値があるか証明したかったのだ。

そして、自分の得意な部分をきちんと表現できているなあ、と思ったからこのネーミングにしたのだ。

おかげで、失敗しても、このコンセプトから外れたことが原因だというのが目の当たりに分かる。

中国に商社作ったときも、メディアで集客できたから、取り組めたし。

そして、どこまでやるか、というのも、全部これが判断の軸になっている。

血迷って、工場を作ったり、機械に設備投資しなかったし、

再度、マーケティングや広告を提供する側に戻ってきたのも、このネーミングのおかげだ。

これがネーミングというものの威力である。

 

みうらじゅん、という私が勝手に師匠だと思っている方がいる。

 

一応、イラストレーターなのだが、私が認める数少ない本物の変態である。

変態というのは、その癖をきちんと表現して認められないと、世の中に溶け込めないのだ。

世の中というのは、変態に厳しいのだ。実に世知辛い。

だから、彼はその癖を世の中に認めさせるために、表現していったのだ。

その経歴はぜひみうらじゅん氏のWikipediaを参照してほしい。

ななめ読みするだけでは、ドン引き、いや意味が分からないだろう。

なんせ、相手は見た目通りの変態だ。

分からないあなたが悪いわけではない。

変態のみうらじゅん氏が悪いのだ。

しかし、その中の幾つかは、きっとあなたも知っているはずだ。

マイブーム、ゆるキャラ、クソゲーなどなど、広く一般で使われているネーミングを創りだした張本人である。

マーブームに至っては、広辞苑に掲載されているくらい浸透している。

私はみうらじゅん氏に会ったことはないが、彼の著作を中高生のころにかなり拝読させていただいた。

彼の発する、男としてのやるせなさとか、業とかの、説明できないような侘び寂びみたいなものを笑いに変えていくパワーにひどく共感した。

例えば、DT(童貞)なんていうのも、みうらじゅん氏が作った。

ゆるキャラに次ぐくらい、有名で、きっとあなたも知ってると思う、このDTというネーミング。

改めて説明するまでもないかもしれないが、DTとは、童貞そのものも指すというよりも、肉体的に童貞を失ったのに、なぜか女性を必要以上に意識したり、モテなかったりすることに罪悪感を感じる男性の心理、心の童貞を指している。

これって、男であれば誰でもが、共感せざるを得ない、ダサい感じ。

でも、これが男性ならではのエネルギー元や創造力になっていたりするのも事実だ。

こういうのを言いたいのに、いちいち童貞、童貞と発言するのも、いかがなものか、ということで、DTと名付けたのだろう。

男であれば、DTを忘れてはいけない。

生涯、DTであるべきなのだ。

だから、私もよくスーツのシャツの下には、I am DT というTシャツを着用している。

むしろ、下に着るもので正装かどうか決まるくらいだし、それが男というものだ。

まあ、DTは、(ゆるキャラじゃなく、あえて)例として、出したが、みうらじゅん氏の表現の根底にあるのが、ネーミングである。

このように、説明すれば相互理解できるのだけど、それを指す言葉がない場合、ネーミングは勝手に一人歩きしていく。

そして、それは、ネーミング自体が指すものの存在理由や、それを受け取った人達の動きまで影響力を与えていくのだ。

ネーミングとは、伝えるべきことが、全て入っている言葉なのだから、伝えたいというエネルギーが共感の増幅装置みたいな役割を果たしていくのだ。

 

実際、ネーミングは最も大変で重要な仕事だと思う。

昔、コピー一本で500万円とか、糸井重里氏をはじめとした、昔の一流コピーライターは言っていた。

当時はなんじゃそら!と思っていたけど、いまでは分かる。

コピーライティングの能力も必要であるけど、とにかく時間がかかるのだ。

まず、リサーチに時間がかかる。

ヘタすると、3ヶ月〜6ヶ月かかる。

経営者含め何人にもインタビューするわけで、そこから大まかな像を掴んでいく。

そして、さっきのように、コンセプトメイキングをしなくてはならない。

経営戦略会議みたいな内容の会議を繰り返す。

こちらの質問や議題に答えてもらう必要があるし、その解答への質問が山程あるからだ。

なぜなら、自分が表現したいことではなく、そのクライアントが心から表現したいことをネーミングにするわけである。

全部喋らせないと、とてもじゃないけど作ることはできない。

ただ、作ったネーミングは、新しい概念として、内部の人たちの動きや、顧客をはじめとした外部の人たちに、「こういうものだ」と印象付ける。

マーケティングとしては、戦略部分まで食い込まないと表現できないものだ。

だから、ほとんどやっていることは、マーケティング戦略のコンサルティングである。

しかし、会議室でできることはコンセプトの方向づけくらいにとどまる。

イメージだけの共有だ。

言語化しようとすると、会議は絶対終わらないからである。

それくらい言葉にするというのは難しい。

その後、机に向かって、一人でイメージを言語化していく。

とにかく、数を出す。

しかし、ほとんどコレだ!と直感的に出てくることはほとんどない。

そこまでやったら、私はネーミングが、降りてくるまで他の仕事をしながら待つのだ。

この作業を繰り返す。

まず、360度全方位の要素が一つのネーミングに入ってないとならない。

しかも、さじ加減も考慮しなきゃならない。

だからとにかく考えるのをやめないことだ。

真剣に考えていれば、そのうち必ず言葉が降ってくる。

だから、ネーミングは一番時間をかけるマーケティングの仕事だと思っている。

コンセプトを言語化していくということは、理論と直感を同時に持ちあわせていないと作り上げられないのだ。

理論と直感って、真逆の能力である。

これができるのは、一握りのコピーライターしかいない。私が知る限り。

そして、半年、ヘタすると1年くらいかかる。

納期は正直決めないで欲しいとお願いしたいくらいである。

しかし、この価値は、必要な企業にとっては、ものすごく大きいものである。

大手代理店に依頼したら、数千万取られてもおかしくはない。

だから、1本500万円のコピーというのが成り立つのだ。

マーケティング戦略のコンサルティングの上に、ネーミングがある。

私だって、コンサルティングしても、ネーミングは別にさせてもらう。

ネーミングという成果物を出すために、コンサルティングがあると言っても過言じゃない。

だから、コンサルティングやるなら、ネーミングまでをやるべき、だと思うが、ネーミングに500万というのが理解できる企業も多くはない。

そう考えると、ネーミングは経営者の仕事である。

経営者ができないなら、少なくても、その企業の経営者の年収くらいはかけてもおかしくない。

だから、500万でも安いくらいである。

ネーミングさえつければ、あとは勝手に動くのだから、社員一人くらいの年収としたら、悪くないはずだ。

そこに、経営者がどれだけの価値を感じられるかだけだが、マーケティング戦略というものを理解するほどに必須になってくるはずだ。

ちなみに、私は、振り返るほどに、ネーミング大事だな、と思うことしか無い。

 

そんな時間をかけて作った私のネーミングのひとつに「アナーキーマーケティング」もある。

このネーミングのおかげで、ずいふん中身が伴ってきた。

当初のコンセプトからは、まだまだな部分もあるが、中のスタッフの考え方も、常に”アナーキー”になってきた。

アナーキーなアイデンティティを皆共有しているから、戦うべきポイントがぶれない。

大手の顔色を伺うこともなく、商品が売れるとか売れないとか以前に、きちんと判断できる情報を事前に提供していけるのだ。

誰もやってないし、マーケティングに興味ある人だったら、広く誰でも知れたらいいじゃないか。

そういう感覚やニュアンスが、外部にも内部にも共感されたわけだ。

ビジョンだの、ミッションステートメントだの、クレドだのと、ただ掲げるだけで、使わなければ意味がない。

ネーミングは、企業そのもの、商品そのもの、サービスそのものである。

そのものが、理念を含有していれば、勝手に共感してくれるのだ。

そこから、ビジョンだの、ミッションステートメントだの、クレドだのを作るのが最も早い気がしてならない。

だから、ネーミングは、大事。

マーケティング戦略を形にしたのが、ネーミングだからだ。